ニュージーランドギリホリ物語ーPart1

何気ない日常

僕は日本で普通の大学を卒業して、普通の公務員になって、転職して普通の会社員をやっていた。

何をするにも「普通」だった。彼女ができたり別れたりもしてた。

お金に困ることもなく、心を壊すこともなくただ普通に生きていた。

でもそれがなんとなく窮屈で苦しいという感覚を持っていたんだけど、お酒や友達と遊ことで誤魔化していた。

でもそういうのってだんだん溜まっていくんだよね。

自分の心の声を無視し続けることって。

それでも毎日、仕事に行って土日の休みを楽しんで「普通」の暮らしをしていた。

朝起きたらランニングをして、シャワーを浴びて、出勤。

午前中に書類業務を片付けて、昼は行きつけのカフェでネルドリップのコーヒーを飲んで、午後は会議とか、営業とか。。

仕事が終われば、定食屋に行って夕飯を食べてジムに行く。とか日によっては彼女にあったり、飲みに行ったり、、、ギターの練習をしたり、、、

そんな日々を過ごしていた。

海外で生活する人々

そんな中、僕はある時旅行でヨーロッパに行った。イタリア、フランス、スペインを回った。

そこで外国で働いて暮らしている人々に出会った。

ローマのトレヴィの泉の近辺にあるエスプレッソが美味しいカフェで働いている女性や、

マルタ島で優雅に車を乗り回しながら暮らすおじさん、

地中海が一望できる自然豊かな丘にあるフランスのニースの下にあるモナコで暮らす日本人の家族。

スペインマドリード付近の古都トレドで旅をしながら生きている青年。

みんな理由は様々で、その国の人と結婚して移住したとか、自力で永住権をとって移住したとか、会社の都合で転勤してきたとか、旅の途中とか、、、

でもそれらは僕にとって衝撃だった。

だって今までの僕の「普通」の世界ではなかったから。

でも心のどこかで光を見つけたのと同時に、彼らを否定するような自分がいた。

「なんでわざわざ海外に住んでるの?」「リア充アピール?」「厨二病的な感じ?」

そんな否定的な自分が嫌だったけど、

でもそれをしないと今までのなんとなく生きてきた自分の人生が全て否定されてしまうような気持ちだった。

そこでも僕はそんな自分の心に向き合うことなく、「普通」に旅行から帰って「普通」の暮らしに戻った。

日本の社会への疑問

日本に帰ってからの僕はモヤモヤした日々を過ごしていた。

別に何か変わったわけじゃない。いつも通り仕事に行くし、運動もするし、彼女にも会う。

お気に入りのカフェにも行くし、ちょっとした贅沢もする。

それでもなぜかモヤモヤする。

あの海外で出会った人々がずっと僕の脳裏に焼きついて離れないのだ。

そして職場の会議とかにも疑問を持つようになってきた。

本質的な結論ではなく、上の人をヨイショするためだけの会議になんの意味があるのだろうか?

時間の無駄じゃないか?

どうしてだろう。冷静になってみると前の公務員をやっていた時もそうだ。

問題を解決したり改善したりするためではなく、

年功序列で偉くなった人の「ヨイショ」をするための会議に日本は一体どれだけの時間とお金をかけているのだろうか?

そして僕もこんなふうに歳をとっていくのだろうか?

そんな疑問が頭から離れなくなった。

しかも若者だけがその結論の尻拭いをしなければならないのだ。色々提案したとしても「お上の機嫌」をとるように動かなきゃいけなかった。そして結果も思ったとおり。全くうまくいかない。

正直日本も終わりだなと思う日々が続くようになった。

でもその中にいて、何もできない自分が本当に嫌だった。

肩をすくめるアトラスと独立個人

そんな時に僕は2冊の本に出会った。

その1冊目が「肩をすくめるアトラス」だ。

そこには現代社会に酷似した崩壊寸前のアメリカ社会が描かれていた。そして同時に、ひっそりとした田舎に勇気と知性の溢れる人々で作られたみんなが本質に寄り添って働く社会が描かれている。

僕はこれを読んで、今の日本とこっそりと海外に移住する人々を重ね合わせてしまった。本当にピッタリだった。利権や自分の地位を守りたくて、国の成長を考えない人々が作る国を尻目に強要ある人々がどんどん海外に逃げ出しているのだ。

そして「Sovereign Individual(独立個人)」という書籍。

これはテクノロジーの発展によってアメリカ中心の資本主義社会が終わり、国という概念が変わり、個人が力を持つようになるということを予言した60年近く前に書かれた本だった。

そこには資本主義崩壊に伴って世界が、疫病や戦争や革命などで大荒れになると予測されている。そしてその時の避難所として最適だと書かれているのがニュージーランドの南島だった。

実際にGoogleの幹部やPaypalの創業者など、アメリカのテクノロジー資本主義の最先端にいた人たちがニュージーランド南島に別荘を買ったり、永住権を取得していることがわかった。

みんな準備をしているのだった。

アメリカの属国である日本も例外ではないと思った。このまま何もせずになんとなく日本で普通の生活をしていたらとんでもないことに巻き込まれる気がした。

僕のモヤモヤした感覚と、書籍に書かれていることがだんだんと一致してきたのだ。

僕はいてもたってもいられなくなった。

そしてぼくは海外に行くことを決意したのだ。

正直にいうと、そこで色々と調べ始めてワーホリという制度を知った。ニュージーランドに行こうと決めたのだが、ビザは思ったよりも早く簡単に取れた。

あとは退職をしていくだけになった。でもそこにも問題が立ちはだかった。

やめ辛い日本の人間関係

退職を伝えようと決意したはいいものの、どうしてあんなに言い出しづらい雰囲気なのだろうか。

日本って。

僕のメンタルが弱いのか、山本七平のいう「日本の組織に存在する空気」のせいなのだろうか。

それはわからないがとにかく。それっぽいことを言えば、同僚や上司や部下からいろんな形で止めにくる囁きが聞こえてきた。

「親はなんて言ってるんだ?」
「せっかく安定している職業なのに」
「そんな未来の見えない生き方で大丈夫か?」

いろんな方面からそんな言葉が僕の耳に届いてきた。そして視線も。

でも冷静に考えてみれば、この人たちって「ここ」しか知らない。実際に「外」をみたことがない人たちだよな?

その人たちが言ってることを間に受けて行動すれば、将来はこの人たちみたいになるってことだよな?

そう考えた僕は、
一刻も早く辞めて外の世界に行かないといけないと思った。

退職と渡航

散々な周りの圧力に屈しながらも僕は退職をした。

周りのみんなからは冷たい目で見られていたけど、中には本気で僕を応援してくれる人もいた。

「大きい声では言えないけど、大正解だと思う」

「その勇気があれば、私も外の世界を見たい」

「また色々教えてね。連絡ちょうだい」

とかとか。

すごく勇気をもらったし、これから始まる僕のワーホリ生活にワクワクした。

僕のマンションの部屋にあった一切の持ち物を捨てて、所持品をリュック1つだけになるまで減らした。

断捨離する中で自分自身がとてもとても軽くなっていく気がした。

それは所持品だけではなくて、人間関係もそうだった。

本当に軽くて明るくて爽やかな気持ちになった。

こうなってくると、重たいと思っていた退職した会社もすごくありがたいものに感じてきた。冷たい言葉を言ってくる人さえも愛おしく感じた。

だって僕は自由だし、動きたいと内心思ってても動けない人もたくさんいるんだってわかったから。

そして僕はついにニュージーランドに旅立つのだった。

当然怖い部分もあった。不安もあった.

でもそれ以上に今までの自分の普通から離れられる。そんなワクワクに心を躍らせていた。

そして出発の日は成田空港に到着した。なんだんだろう。この気持ちは中央にある暴動を見ると、世界中の都市名が記されている。

ここに来るといつも世界のどこにでも飛び出っていけるという気持ちになってワクワクする。

僕を見送る人は誰もいなかったが、周りでは家族が見送りに来たり、恋人と最後の別れを惜しんだりする人々で溢れていた。

出会いがあれば別れもある。別れもあれば出会いもある。みんな人生の新しい次のステージに向かって飛び立っていくんだと思った。

僕は、沢木耕太郎の「天路の旅人」を読みながら飛行機を待っていた。

沢木耕太郎さんといえば、「深夜特急」で有名なのだがその時ちょうど新刊が出ていたのだった。
彼の小説は、いつも僕の人生の旅路の中で大事なポイントで出てくるのだ。

時間通りのアナウンスが流れて、僕はオークランド行きの飛行機に乗った。

美しい夕焼け空が窓の外に見えた。どんな世界が待っているのだろうか。

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